ピアスの歴史

現在では主にファッションとして用いられるイヤリングですが、ルーツは刺青(タトゥー)などと同じ「魔除け」だったようです。

イヤリングの場合は、耳の穴から悪魔が入るのを防ぐ目的で耳の穴の周囲に着けたようです。悪魔が穴を通って体に入って来た結果が、病気などの災厄であると考えたようです。確かに今でも耳の病気はやっかいですから、大事な五感のうちの「聴力」を守る思いが強かっただろうことは想像出来ます。

そのほか、宗教上の理由や願掛けの意味や、戦死した兵士の身元確認用の目的があった時代もあるようです。こで意外に思われる方も多いかと思いますが、イヤリングは太古の時代から存在し、当時はイヤリングといえばピアスのことだったということ。ピアスには数千年の歴史があると言われています。

古代エジプトでは、20歳になったらピアスをするのが王族や貴族を中心とした権力者の間では普通とされたようです。

若くして亡くなったツタンカーメン(紀元前1347年?1338年)は18歳だったためにピアスはしていなかったようですが、お墓か副葬品としてピアスが出土されたようです。ツタンカーメンのお墓は唯一、荒らされないまま発見された王族の墓と言われています。

アジアのピアス

日本でも現存する最古のジュエリーとして青函トンネルの北海道側入口近くの遺跡の墓(旧石器時代)で発見されました。

それはネックレスのヘッド部分と考えられていますが、装飾品としてはイヤリングが最も古いとされていることから、当時もイヤリングが存在したのではないかと考えられます。イヤリング(耳飾)としては「耳環」や「金環」などと呼ばれる環状、輪状のものの開口部を耳に挟むタイプのものが古墳時代の中期以降に多く出土しています。

それは金属の弾力だけを利用したもので耳たぶをはさむタイプのもので、きっと落ちやすかったのでしょう。悪魔よけの意味であるなら、取れやすくては意味がないように思ってしまいます。

同じく出土された「耳玉」と呼ばれるいくつかの玉を紐などで連ね、外耳に固定する装身具は装着方法が不明のままですが、「耳環」や「金環」などでは重さに耐えられなかっただろうと思われます。また「垂飾付耳飾」という環状に鎖が付いたものや、その鎖に様々な飾りが付いたものが発見されています。

それらは中国大陸から伝わったといわれています。また、埴輪には耳にピアスの穴と思われる穴があいたものも発見されていますので、やはりピアスはあったのだろうと推測出来ます。

仏教の開祖として知られるブッダ(悟りを開くとか、目覚めるという意)は、ゴータマ・シッダールタという名の釈迦族の王子。生没年の説は紀元前463?紀元前383年頃、紀元前566?紀元前486年頃、紀元前624?紀元前544年頃とハッキリしていませんが、ピアスをしていたことが知られています。

悟りを開き、ブッダ(仏陀)となった際に最低限の衣服以外の装飾を排除したためにピアスの存在はありませんが、ブッダをモデルにしたといわれる鎌倉の大仏様には大きなピアスの穴が表現されています。

仏教用語でピアスのことを耳(じとう)、ピアスホールの事を耳朶環(じだかん)と言い、耳たぶの耳飾りは知恵や幸運を呼ぶと言い伝えられています。現在の日本でも「ピアスをすると賢くなる」説が取り沙汰されています。

以上の事実を突き合わせて考えていくと、現在のイヤリングのように、スプリングやネジなどの技術のなかった太古の時代には、耳たぶに穴をあけて悪魔よけになりそうな動物の歯や骨、牙、光る石をつけたと考える方がとても自然です。

ヨーロッパ(イギリス)のピアス

19世紀後半のイギリスにピアスがあったのか、なかったのか。結論としては、あったといえます。

もっとも有名な劇作家とされるイギリスのシェークスピアは、1564年に生れてから1616年に亡くなった日本にも縁(ゆかり)の深い人物です。

なんと、そのシェークスピアの肖像画には、ピアスがはっきりと描かれています。つまり。1800年代のイギリスにピアスがあったと考えるのはとても自然なことだといえるのです。

現在でもイギリスでは、ピアスが主流です。クリップ式やスクリュー式のイヤリングは、大変に高価です。ピアスしか置いていないアクセサリー屋さん、ジュエリー屋さんがほとんどです。

クリップ式やスクリュー式のイヤリングは見かけることがない程に少ないです。そして、ちょっと驚きですが、ほとんどは乳児の頃にピアスを済ませてしまうようです!

小さい子のピアスは可愛いだけでなく、誕生石などの守護石を身につけさせることにより、身を守る意味も含まれているそうです。

欧米の女性にとってピアスは、完全に生活の一部になっているように感じられます。

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